歴史

長崎のビワ

ビワは、中国原産のバラ科の常緑樹で初夏に張りのある黄色い実をつけます。
ビワという名前は実の形が楽器の琵琶に似ていることから付けられたと云われています。
長崎では家庭の庭木などでよく見かけ、ビワの実も食用にされるなど私たちにとって身近な植物です。
その一方で、ビワは古くから薬用植物として重宝され、特にビワの葉は様々な治療に用いてきました。

16世紀の中国・明の時代の薬学書『本草綱目』にはビワの葉の効能について、胃腸の毒素を流す、呼吸器の炎症を鎮める、顔のおできを直す、足のしびれや痛みを取り除く、などが記されています。
さらに『枇杷葉湯』という漢方薬の原材料としても用いられ、夏負けや食中毒などの予防に使われてきました。
江戸時代に長崎県の代官屋敷で奉公していた女性(三浦シオ)が、中国商船から持ち込まれた「唐枇杷(中国原産の枇杷)」の種子を茂木町の自宅の庭にまき、そこから広まったといわれています。
生産量日本一で、高品質のビワが生産されています。

長崎のお茶

CE-MIXに使われている原料茶葉の主な産地は東彼杵町で長崎県一のお茶の産地です。
長崎にお茶が伝わってきたのは鎌倉時代初期、建久2年(1191年)、臨済宗の開祖といわれている僧・栄西禅師が宋から帰国した際に、チャの種子を持ち帰りました。
そして長崎県平戸の富春園に日本最初の茶園を開き、さらに福岡県と佐賀県との境にある脊振山に茶園を開いたと伝えられています。
栄西禅師は本格的なお茶の効用から製法などについて「喫茶養生記」を著しました。
この書は日本における最初の茶書として著名であり、その後の喫茶の普及に果たした役割は大きいとされています。

栄西禅師はまた、建仁2年(1202年)源頼家の帰依を受けて、京都最初の禅寺、建仁寺を建立しました。その後、高山寺の明恵上人にチャの種を贈ったことから、京都にチャの栽培が広まりました。
また、鎌倉に寿福寺を開山しており、東国にもお茶を広めるきっかけを作ったと言われています。建仁寺境内には、栄西禅師茶碑や桑の碑、平成の茶園があります。

江戸時代には大村藩主の奨励によって畑での栽培が盛んになり、現在の基礎が作られ、さらに幕末に至った頃には村々で栽培されたお茶は彼杵港から時津(とぎつ)に運ばれ、長崎で大浦慶(おおうらけい)などの商人を通じて外国へと輸出されることによって世界にその存在が知れわたりました。

現在、大村湾を望む台地には広大な茶園が広がり、長崎県内の約60パーセントものお茶がここ東彼杵町で生産されています。
「そのぎ茶」の茶葉はくるくると丸みを帯びており、これは蒸製玉緑茶(むしせいたまりょくちゃ)と呼ばれ、渋みを抑えたまろやかな味わいが特徴です。
生産地が佐賀県との境にあるため、佐賀県嬉野(うれしの)市の「嬉野茶」として出荷される時もありますが、近年は「そのぎ茶」としてのブランドを確立しつつあります。

 

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